x.x.x.x

| HOME | FrontPage | 記事編集 | RSS |

抹殺された日本人の現代史   政治::書籍

  1. 1. 米兵による捕虜皆殺し
  2. 2. 豪兵による捕虜皆殺し
  3. 3. 満州事変
  4. 4. ソ連軍による日本人虐殺
  5. 5. 中国兵による南京事件
  6. 6. 済南事件
  7. 7. と、いうことで

小日本社編・全貌社出版で平成7年6月1日発行。現在は絶版となっています。こういう書籍こそ置かなくてはならないということで、近隣の区立図書館を調べてみたんだけど、品川区はナシ。渋谷区もナシ。杉並区は当然ナシ。大田区立にはインターネット検索システム自体がナシ(よって不明)。世田谷区は1冊。世田谷区神(;´Д`)y-~

表紙

ということで借りてきた。内容は大きく分けて、戦時中アメリカのチャールズ・リンドバーグ大佐の戦時日記に記録された米豪兵の捕虜皆殺し、満州におけるソ連兵と中国人による日本人虐殺、オレンジ作戦とハルノート、真珠湾攻撃の4本です。

1. 米兵による捕虜皆殺し

リンドバーグが前線の将校と会い、話が捕虜のことに及び、捕虜として収容している日本人の数が実に少ないのに驚いてその理由を質した。将校の一人は「いや、捕虜を取ろうと思えばもっととれる。しかし兵士たちは捕虜を取りたがらないのだ」と答えた。

ある所で、数千人の日本兵を投降させた。しかし捕虜としてわれわれの手元に連れてこられたのは、わずか百人か二百人足らずだった。残りの者は、偶然のことで殺してしまった。彼らは、仲間の者とぞろぞろと野戦飛行場の方へ歩かされていって、そのまま機関銃で撃ち殺されてしまった。
(中略)
リンドバーグの日記を読むと、「われわれは日本兵の捕虜をとらないことにしている」と発言する米軍将兵がいたるところに出てくる。8月30日の日記に、「わが海兵隊は、この島の日本軍の降伏をめったに受け付けなかった。戦闘は激しいもので、わが軍兵士の損失も甚大だった。それゆえ、みなの欲するところは、日本兵はすべて殺害してしまって決して捕虜にはせぬ、ということだった。たとえ捕虜として連行してきたときでも、彼らを一列に並ばせ、誰か英語が話せるものはいないかと質問し、もし話せるものがいたら彼らだけをひきぬいて、尋問のための捕虜とした。残りのものは捕虜にもしなかった」という、ある将校の発言が記されている。英語を話せる投降兵以外は、結局皆殺しにされたのである。これでは捕虜取扱いに関する戦時国際法はあって無きに等しい。日本兵は動物並みに取り扱われ、白人米兵の捕虜になる資格すら認められていなかったのだ。

2. 豪兵による捕虜皆殺し

オーストラリア兵の残酷さについても記されている。彼らは飛行機で日本兵捕虜を南方に護送中、機上から捕虜たちを真下の山中に突き落とした。あとで上官には、日本兵たちは途中でハラキリをしたとか、抵抗したので銃殺したと報告しただけだったという。

またある中隊が、オーストラリア兵の通過した後、日本軍の野戦病院を奪取したが、驚いたことに、病兵はただの1人も生きていなかった。という話も記されている。ある将校は「このような残忍なオーストラリア兵に比べれば、われわれアメリカ兵はそれでもまだましなほうだ」などと、うそぶいている。

3. 満州事変

蒋介石麾下の暴徒と化した中国兵や、ボロージン、ガリン等の指導する共産主義化した国民党兵士によって、同じような日本人襲撃事件が頻発した。佐々木(※佐々木到一。満州守備隊将校)は中国兵の度重なる日本人居留民に対する凶暴な攻撃を座視するに忍びがたく、それを放任して防止しえない蒋介石と国民党に対し、深い怒りと不信の念を深めていった。

一方、当時の日本政府は、このような事態にもかかわらず、絶対平和主義の方針で、平和協調外交と称して中国で問題が起きることを一切さけ、在中国の日本軍に対しては発砲と武力行使を禁じていた。英米などの諸外国の軍隊が、武力行使によって時刻居留民の保護に当たるなかで、日本軍のみは穏忍自重した。日本軍抵抗せずと見た中国兵と棒民は、とくに日本人居留民に対して、排外的で不法なる暴虐をほしいままにした。その動きは全中国に広まり、やがて満州にも飛び火した。満州では、万宝山事件、中村大尉一行の虐殺事件など、中国人兵士や巡警による、在満鮮人や日本人居留民に対する暴行迫害事件が相次いで起きた。こうした状態の昭和6年9月、奉天北方柳条溝付近で、関東軍の猛反発が生じた。

この関東軍の武力発動は、日本政府の当時の平和主義外交の意志に反して決行され、関東軍は、短時間のうちに全満州を制圧してしまった。満州事変がこれである。

4. ソ連軍による日本人虐殺

中国人の日本人虐殺は満州事変後も続いた。昭和7年1月には、上海において日本人僧侶が虐殺された。これをきっかけに上海事変が起きた。続いて昭和12年には日華事変が勃発した。同年7月には通州において、日本人男女約200人が一度に中国兵によって虐殺されるという、きわめて残忍なる事件が発生した。いわゆる通州事件である。

事件後、戦火は華北、華中、華南へと波及していった。こうして日本軍が中国大陸を支配してゆくにつれて、今度は日本軍が大規模に中国人を虐殺した。事態到るところで転換し、事件は到るところで起きた。昭和12年の南京事件もその一つである。

戦争の最後の場面にいたって、ソ連軍は日ソ中立条約を破り、大挙して満州を侵略した。そして大量の在満日本人居留民を容赦なく虐殺した。このとき満州で、ソ連軍の犯罪的不法な虐殺と占領行政の不法によって、非業の死を遂げた日本人の数は実に17万人、行方不明になった日本人が3万人もいる。

5. 中国兵による南京事件

昭和2年3月、南京において日本人に対する悪質野蛮な事件が発生した。事件当日からその情報を逐一収集していた佐々木は、その模様を次のように記している。

「逐日耳に入るところの真相は悲憤の種だった。英米仏の軍艦はついに城内に向けて火蓋を切ったのに、わが駆逐艦はついに穏忍した。しかも革命軍は、日清汽船のハルクに乱入してこれを破壊し、わが艦を目標として射撃し、現に1名の戦死者を出しておる。荒木大尉以下12名の水兵が城門で武装を解除された。在留外人は全部掠奪され、某々国の何々が殺された。わが在留民全部は領事館に収容され、しかも三次にわたって暴兵の襲撃を受けた。領事(森岡正平)が神経痛のため、病臥中をかばう夫人を良人の前で裸体にし、薪炭車に連行して27人が輪姦したとか、30数名の婦女は少女にいたるまで陵辱され、現にわが駆逐艦に収容されて治療を受けた者が10数名もいる。
(中略)
真に争奪一空、惨憺たる情景だった。落花狼藉の跡はことさらに取り片付けさせたと見えて、室内には何一つ残ってはいなかったが、金物という金物は、ドアのハンドルにいたるまで取り外し、縦枠の木材、ガラス、床板すべて持ち去られてがらん洞となっており、水溜めの地下タンクに小便さえもした形跡があり、警官の住宅は床をはがして便所に使用し、累々たる黄金物が鎮座ましましていた。兵隊の掠奪についで暴民の掠奪を受けたものと想像せられる」

といったようであった。これが蒋介石麾下の中国兵によって、十分なる計画の下に行われたのであった。この中国兵の暴挙に対し、事件の反響を恐れた日本政府は、外務省の公報でもって「わが在留婦女にして陵辱を受けたるもの一名も無し」と発表したので、南京居留民の憤激は極点に達した。そして日本の外務官憲の無責任さと、中国軍の暴状を同胞に訴えようと、上海で居留民大会を開こうとしたが、それすらも禁止されている。

6. 済南事件

南京事件の後、昭和3年5月には、済南で日本人多数が中国人によって虐殺された。佐々木はその残忍さを次のように記している。

「ところがこの日になって重大事件が惹起されていることが明らかにされた。これより先、居留民は総領事館の命令を以て老幼婦女は青島に、残留する者は警備線内へ引き揚げを命じてあったが、それを聞かずして居残った邦人に対して残虐の手を加え、その老壮男女16人が惨死体となってあらわれたのである。予は病院において、偶然その死体を実見したのであるが、酸鼻の極みだった。手足を縛し、手斧の様なもので頭部、面部に斬撃を加え、あるいは滅多切りとなし、婦女はすべて陰部に棒が挿入されてある。ある者は焼かれて半ば骸骨となっていた。焼け残りの足袋姿で日本婦人であることがわかったような有様である」

まことに残忍の極みである。佐々木自身も、その直前に中国兵数名にとり囲まれ、鉄拳の暴行を浴びせられ、激しいリンチを受けている。このように続発する中国人の日本人に対する野蛮な犯罪にもかかわらず、時の日本政府は事態の十分な認識をせず、中国国民党政府に対してひたすら無為無策の静観主義をとっていた。佐々木はこれを敗北主義といって痛憤している。平和主義外交の犠牲になって、目の前で多数の日本人が惨殺されてゆくのを見ている武官の佐々木にとって、そのように思えるのも無理はない。

7. と、いうことで

23区に1冊しか現存しない貴重な資料ですから、高速ブラインドで要点のみ書き出しておきました。ソ連については少ししか書きませんでしたが、たぶん無抵抗の日本人を最も多く殺害した国はソ連です。僕が言いたいことは、恨めということではなく、戦争とは本来このようなものであり、戦時において国際法など無意味であり、お互い様だということです。「当時のアメリカ兵はモラルが低かった」と言うよりも、今でも普通にやると思いますよ。イラクでもやってるでしょ。だって親や兄弟や恋人や愛犬の惨殺死体を見つけたらどうします。みんなやるんだよ。みんなやるからこそ、やらない人が褒められるわけでさ。つまり

戦時中の行いや、歴史上の行いをガーガー批判しても意味ないんだよ( ´ Д ` )y-~

戦時中の行いから学ぶことがあるとすれば、いざとなれば特攻をかけて死ぬ他に無いということ。歴史から学ぶことは多いけど、恨みしか持たないなら意味なしおちゃん。恨みをベースにすると日本の味方はインドと台湾とマレーシアとドイツだけだから、それならそれでいいけど、どう頑張っても勝てないよ。勝てない行動原理はクズだ。ちなみにインドは東京裁判で日本無罪を主張してくれたラダ・ビノード・パール先生の国です。

面白いのは日本の外務省が今も昔も同じバカをやってることだね。あそこだけは見事に何も変わってない。国家運営の根幹は平和でも友好でもなく安全だから、平和のために安全を捨てる機関は全員死刑にすべきである( ´ ー ` ) 極端な話、全ての攻撃を無制限に必ず撃ち落とすシステムがあれば、安倍総理が胡錦濤をブン殴ってミサイル連射されても全然問題ないわけ。安全だからね。平和よりも安全。孤立よりも安全。中国13億人っつっても実数は沿海地域の8000万人程度だから、戦争になれば楽勝なんだよ。核あればな( ´ ー ` ) 日本人は孫子や漢字や古代史を通じて、中国に幻想を持ちすぎているから、この部分を教育改革で改めて行かないとダメなのかもしれない。あいつらバカだよ。上の方は頭がいいと言う人もいるけど、上の方もバカだよ。

BlogMode speed member / 2006.10.07 23:01

These pages are designed for NN7 & IE6.
BBSWiki ver.1.50 Final blogmode.
Copyleft (!C) 2005-2007 SUICIDE BLONDE JP.
All Lefts Reserved.

Valid XHTML 1.0 Strict Valid CSS!